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点対称の要素を書籍に載せるなというお話

 
・以下のぼくの主張と同じことを言っている本 と
・以下のぼくの主張と逆のことを言っている本 を
 募集します。
 
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縦書きの本は,「上から下」かつ「右から左」へ読む。ページは「左から右」へめくる。一方で横書きの本は,「左から右」かつ「上から下」へ読む。ページは「右から左」へめくる。縦書きにせよ横書きにせよ,ここには明確な傾斜があって,視線は常に高いところから低いところへ流れていく。通常の日本語の文化に属する限り,紙の上を走る視線の流路はいわば谷間の清流のように無意識に規定されていて,逆に言えばこの流れを乱すような文字の配列は,芸術的価値は措くとして,スムーズな情報伝達という観点からはあまり望ましいものではないのかもしれない,と最近になって思い始めた。少なくとも大多数の日本人は「そう」読むはずだ。だから,本の中へ文字以外の要素を入れるときも同様であって,決してこの無意識の視線の流れを乱してはいけない,と信じるようになった。
 
要はスライド作成などでよく言われる「発表の流れは左から右へ,上から下へ」というやつである。普通に読んですんなり理解できる形に組み立てろという訓戒だ。視線の動きをこちらがいちいち誘導して聴衆に努力を強いてなんとかこちら流に理解していただくぐらいであれば,最初ッから普通の流れのうちに埋め込んでおけという話。日本語の暗黙の了解である「前から後ろへ読んでいけばとりあえずは読み解けるはずである」にもっと頼るべきなのである。そりゃ確かに,内容が複雑であるほど,それを美しい形にまとめ上げたくなる(=人にもよるが多くの場合これが「点対称な形」に落ち着く)気持ちも,ぼくのなけなしの美的感覚を以てして理解できなくはないのだけれど,それはほとんどのケースにおいて自己満足で終わる。点対称の要素というのは見た目は綺麗だが読み解くとなると途端にやりにくい。どこから崩していけばよいかがわからないからである。力学からのアナロジーで言えば,読者の視線が外側をぐるぐる等速円運動するのみで,全然中身に視線が至らない。だから書き手のほうで敢えて傾斜をつけておいて,その傾斜にしたがって視線を動かしていけばすんなりと内容が頭に入るような,そういう組み立て方をしないといけない。んですよ。ほんとにね。
 
「書き言葉は前から後ろに読む」「話し言葉は前から後ろへ聴く」という人間の言語の大原則をしばしば忘れがちになる。読んでいる/聴いているときは,後ろのことなんかわからないんです。もっとそういうことを意識して,本を作っていきたいな,と思うのでした。